ぜんぶにわか

絵を描くタイプのオタク目線で世間を見るハイテンションネガティブ まだ人生1周目なのでお手柔らかにお願いします

物が捨てられない症候群が部屋を大掃除した話

部屋の大掃除をした

 

きっかけはコロナで家に籠ることになったからせめて自室をマシにしてテンションが上がるようにしよう的な

そんなものだった

 

私は結構物が捨てられないタイプで友達が描いてくれたノートのラクガキやおばあちゃんがくれたお年玉の袋、

小学生時代授業中にコソコソ渡しあった小さい手紙までいくつか溜め込んでいた

 

まあ…パンパンのクローゼットで雪崩を起こす母と紙袋を廊下いっぱいに溜め込んでいる祖母が居るので納得の性質ではある

 

ということでとにかく物が多いのだ

引越しなどの度にそういう類のものは一応少し減らしていたものの未だにダンボール2つ分ぐらいは残っていた

 

今日私はそれらのほぼ全てをゴミに出し終える

 

 

私が小中の頃、よく大人たちは「いいね、毎日楽しくて」とか言っていた

高校の頃は「華の高校生なんだから」と

大学になると「今が1番楽しいんだから」と

 

私は今大人になったと思うが「あのころは良かった」とか「学生時代に戻りたい」とかいう感情は一切ない

強制的に戻されでもしたらむしろグレて窓を割る

 

別に学生時代に特別大きな何かがあった訳ではない

運良く虐められなかったし遊べる友達も各段階でいた

親との関係も良好だったし部活も普通に入っていた

良くも悪くも何も無く、大学時代の事ですら思い出と言われるとあまり記憶にない

 

私の過去はあまり思い出がない割に、ほんの些細な嫌な出来事が根強くずっと残っている

 

教室を間違えて知らないクラスの人にめちゃくちゃ笑われてしまった

ずっと掃除してたのにたまたま先生が来たタイミングで座ったら怒鳴られた

絵を描いていたら下手だと笑われて馬鹿にされた

口喧嘩してブスだのシネだの散々言われた(絶対言い返してる)etc…

 

そんな本当に些細な、でも当時はとても大きな問題で

悲しかったり怒ったり、ある種のトラウマだけが私の過去になっていた

 

そんな過去と比べたら今は本当に生きやすくて過ごしやすい

大人になってももちろん嫌なことは沢山ある

でもそれも耐えたら過去になる

過去には絶対戻らないから、済んでしまえばそれで終わり

だから結局今が1番生きやすい時なんだ

というのが私の人生に対する質なのだと思う

そのせいで思い出もあまり無いのだろうけど

 

そんな私にとって快適な今を邪魔するのは過去だ

もう10年はたったはずなのに理不尽に叱る先生と私の絵を笑う同級生が今もいる

特に”物”を見るとフラッシュバックする

 

棚の置物を見る度にコレをくれた子に絵を笑われたんだったな…とか

このペンを使ってた時にはこんな事があったなとか

捨てるにも捨てられずが祟って今までずっと呪いを受け続けてきた

部屋に溢れかえっている古い物こそが負の感情の大きなスイッチになっていると漸く気付いてしまった

 

決定的な物として卒業アルバムが憎い

1冊でも目に入れば中学時代高校時代の全範囲引っ括めて”過去”が襲ってくる

気の迷いで中を開こうものなら一気にメンタルは死ぬ

死ぬとわかっていて何故か開いてしまうのもまた呪いの類いだと思う

 

どうあれスッピンのクソブス証明写真が乗ってる時点で呪いの書であるのは間違いないしこの世から消すべきブツではある

親は当然捨てるなの一点張りだったが今回とうとう自分の心の安寧のためにこっそり処分した

しかしコイツ、捨てるにも本当に厄介で個人情報も乗っているからそのまま捨てる訳にも行かない

無駄に丈夫に出来ているので分解するのも一苦労、本当に卒アルの炎で燻製しようかと思った

結局カッターとハサミ1本を犠牲に手を負傷しながら処分した

バレれば親には怒鳴られるだろうがもう数え切れないほど何度も苦しめられてきたのでこれに後悔はない

 

カッター片手に手を血に滲ませながらザマァミロ…と深夜にニヤついたのは確実にまたやばい思い出なので卒アルはやはり呪いの書であった

 

 

小学生時代の手紙も、誕生日に貰ったからという理由だけで捨てられなかったいらない雑貨も今回全部捨てた

別に当時の友達が嫌いになった訳では無い

ただ自分と自分の記憶が憎いという理由だけだがぬいぐるみやお揃いのボールペンも凄く悩んで捨てることにした

 

今はまだ捨てたという記憶があるけれど数年後、1人で生きている私はその事すら忘れてるかもしれない

人に誕生日を祝われていたことも忘れて私はずっと孤独だったと嘆くかもしれない

 

そうでなくてもいつか私は今日全て捨てたことを泣くんだろうと思う

物がないと思い出せないぐらいの薄い記憶の人間なのに物を捨ててしまった今、もう二度と思い出さない過去が沢山あるはずだ

それでも今生きるために私には必要な事だったと、このいたい日記に書いておきたかった

いつか思い出した時にまた今日の記憶が呪いにならないように

ちゃんと悩んだ結果、決断したのだと書いておきたかった

 

 

一つ、掃除をしていた過程で非常に分かりやすい”小学生時代の私が大事にしていた宝箱”というのが出てきた

中身は母親や友達と一緒に作った指輪

 

これをゴミだと言って捨てた時に私は本当の意味で死んでいるのだと思う

いくら過去に希薄な人間だとしてもそうはなりたくない

ならないように生きていたい

 

これからは良い思い出の品で部屋が溢れますように

 

良き未来あれ


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追記:

物を減らしたからと言って部屋が綺麗になるとは限らない どうして [🔍]